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外資系経理マンのページ

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小説(20)

川越入社の翌日から、深田は川越に引き継ぎをおこなった。水、木、金の三日間、昼休みも、アンテラのあるビルの斜め前にある 蛇の芽寿司からにぎりの上をたのむなどして 社長室にふたりはこもりっきりになった。そして、夕方ちかくなると、挨拶回りでふたりともいなくなった。
 松田はというと、さっそくひとりでルーチンをまわすことになった。とりあえずは、小口現金をやらねばならない。毎日、なにがしのお金は動くからだ。 これは去年まで赤城がやっていた。といっても一か月ほど前までは、江頭がやっていた仕事であって、松田自身、この一か月のあいだ、仕訳は入れていたこともあったし、苦になるしごとではない。さっそく、蛇の芽寿司の出前がくると、代金3000円を手提げ金庫からとりだし、領収書をもらう。もらえば、それをコピーに失敗した用紙の、白紙面にのりで貼付ける。そして、仕訳をおこす。その一方で、新聞の集金がくればお金を用意し、支払う。
 いわゆる出納業務に関しては、やはり月末の支払いが大きなヤマだ。これは、かなりの仕事量。毎月月末1週間まえまでに紙ベースで銀行の窓口にだす必要があった。パソコンバンキングはサービスとしてはあったけれども、アンテラのメインバンクは118銀行という地方銀行で、深田が個人的な縁で口座を開いた地方銀行であって、その東京支店のサービスは都市銀行に比べれば見劣りした。バンキングもサービスをおこなっていなかった。むろん、地元、つまり本店のある市では都市銀行と同じレベルのサービスを提供していたのはいうまでもないが。
 しかし、松田にとって一番の懸念は、アメリカへのレポートであった。もちろん、任月堂への発注という作業もあるが、それは、ある意味で営業との共同作業という側面もあるから、煩わしさからいくとアメリカへの毎月のレポートであった。引き継ぎがなかった以上、残ったファイルを頼りにやっていくしかないが、慣れるまでは試行錯誤でいくしかない。もちろん、このレポートふくめてすべてをこれまでは4人でこなしていたのだから、キャパ以上の仕事量であることにかわりはない。
 仕事始め3日はなんとか生き延びた。しかし、帰宅時間は1時間から2時過のびた。一月まえも 同じくらいの時間、残業をした日もあったが、それは安藤、赤城の残業している最中に帰る事に、まっ先に帰ることに気が引けたところもあった。だから、どちらかといえば今日 残業しなくてもいいことをやって時間をやり過ごしていたところがあった。いまは、気が付くと終業時間を過ぎている。松田が、充実を感じたのは言うまでもない。
 そんな感じで、10日ばかりすぎた、というよりも川越が実質的にアンテラを仕切るようになって2週間たったというべきか。そして、深田はほとんど会社にでてこなくなった。行き先表示板には、外出と走り書きがしてあるだけで、どこに深田がいっているのか、社員は誰も知らなくなったし、興味ももたなくなった。そんなある朝、会社に蛇の芽寿司の出前をもってきていた娘が、ドアが半開きになった社長室で川越と話している姿を松田はみかけた。
「あさから寿司か?」
そして、もうひとり松田とさほど歳はかわらない風の女性が、やはり座って、川越と笑いながら話をしている。
「松田さん、ちょっと」
 松田が席について、パソコンを立ち上げていると内線で川越が社長室にくるように呼ばれた。
 社長室にはいると深田のデスクの脇にすこしだけ小振りなデスクが設えてあり、その前の応接セットに蛇の芽寿司の娘、広田順子が座っていた。さきほどまでいた、もうひとりの女性は、いなくなっていた。
「松田さん、今日から私の秘書をやってもらう広田さんだ。空いてる時間は経理でつかっていいからな」
「ひろた、です。よろしくお願いします」
「よろしく」
カナダ留学経験、大手での秘書経験もある広田は、このあと松田の仕事をバックアップしていくことになるが、消えた「もうひとりの女性」もまた、別の意味でアンテラにとって,また松田にとってキーとなる意味をもってくることに、松田はまだ気付いていない。
 


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